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私と 井の頭公園 |その8「『自然林を後世に残すのが我々の義務』地域住民の力で公園となった第二公園」 大竹茂

『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』8号 2013年1月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―

「自然林を後世に残すのが我々の義務」地域住民の力で公園となった第二公園

大竹 茂 (山梨県笛吹市在住)

 

井の頭恩賜公園第二公園は、小鳥の森の東側、玉川上水をはさんだところに位置する1.7ヘクタールの公園で、名前のとおり井の頭恩賜公園に含まれている。その公園の誕生を当時の井之頭町会副会長の大竹茂さん(74歳)に聞いた。

あそこはね、杉山産業化学研究所があってね、豊年製油の杉山社長が作ったんだよ。だから 杉山研究所なんだ。その研究所跡地が三井不動産に売却されたんだけど、某国大使館になるとか、 高級マンションが出来るとか、いろいろうわさが出てね。大使館が来ればそこは治外法権になる し、マンションになれば貴重な林は切られちゃうし、どちらにしてもこれは大変だということに なって、町会で問題になったんだよ。売却が1972(昭和47)年だからちょうど40年前の話だ。

そこで、井之頭町会(当時は土端一暢会長)(注1)が先頭になって、「立派な自然林を後世の 人々に残すのが我々の義務だ」と、東京都に公園緑地として残して欲しいと運動をしたんだよ。 その成果が第二公園として残った。そりゃ簡単なことじゃないよ、住民同士でもいろいろあった。 でもね町会が奔走して住民の意見をまとめたんだよ。例えば、建物を壊したときに出る廃棄物 を運ぶ運搬車が通る道、これを同じ道にしないで、今日はこの道、明日はこの道って決めてね、 そういうことを一つひとつ提案して説得したんだよ。

地域のことを町会が先頭になって考えるというのはすごいだろう。井之頭町会の伝統かもしれないな、井之頭新報(注2)も続いているし。今、こちら(山梨県笛吹市)に来ても、東日本大 震災の被災者支援のボランティアをやっているけど、僕は井之頭町会で、地域社会のあるべき 姿を教えられたと思っているよ。原点だね。

(元みどり書房店主・元井之頭町会副会長・元井の頭住民協議会事務局長)

 

文・写真 川井信良

 

(注1)1955(昭和30)年設立。町会のホームページには『井の頭の緑を守り井の頭を心のふるさとに』とある。町会長は岩崎菊男さん。

(注2)井之頭新報は、1960(昭和35)年から発行している井之頭町会の町会報。「本誌の目的と使命は」として、「一.本誌はあらゆる社会悪を断乎排除し明るい町づくりに誠心誠意寄与せんとするものである。」「二.本誌は熱血正義の同志とともに破邪顕正、社会公共のため奉仕せんとするものである。」「三.本誌は一党一派に偏せず、あくまで公平無私厳正中立の立場を堅持するとともに政治意識の高揚に努めんとするものである。」とある。

東日本大震災の支援ボランティアに駆け付ける 東松島市 仙石線代行バス停にて

 

※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』8号 2013年1月1日発行 掲載)


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