社し、有限会社サステイナブル・デザインを設立。創業当初は受託業務中心でしたが、2013年ごろから企業経営をサポートするコンサルティング業務を展開してきました。それまで関わりの深かった産業廃棄物・リサイクル•印刷の3業界を中心に、ひとり企業から上場企業まで、財務(キャッシュフロー).非財務(サステイナビリティ)の両面から経営支援を行っています。2020年以降は、講演・セミナー・研修・執筆など、教育学習支援業務にも注力し「一社に一人CSuoがいるのが当たり前」を目指して、「一万人のCSuo育成・輩出」を目標としています。それが実現すれば、50年企業、100年企業が増え、経営者も社員もより豊かで実りある人生を送れる日本に近づけると思うのです。▼そんな私ですが、本当のことを言うとにしはら大学時代、私は漠然とを創り出す」マーケティングに興味を持っていました。しかし、4年生になり卒業論文と就職活動に真剣に向き合いはじめたある日、ふと思ったんです。「商品は、売れなければ廃菓物になる。売れたとしても最後は廃棄物になる」と。「おや?突き詰めると、マーケティングと「まるサ」の男有限会社サステイナブル「売れる商品・デザイン代表取締役いうのは廃棄物を作ることになってしまうのか?」という発想から、「廃棄物」が卒業論文のテーマとなりました。大学卒業後は三菱総合研究所に入社し、官公庁・自治体の調査業務を担当。地道に、インフラ政策、環境政策、規制や税制、広報等の多分野の業務経験を重ねる中で、サステイナブルな社会・経済のありようについて様々な角度から考えるようになっていきま中学・大学・社会人でラグビー。し社会人で始めたタッチラグビーでた。は、1999年にW杯(シドニ出場。これは日本代表Over30の写真で、前列一番左の立膝が私です。良い思い出です。そうした中、エコツーリズムというジャンルに足を踏み入れたのは、私にとって大きな転機になりました。とくに枇界自然遺産第1号であるガラパゴス諸島でのエコツーリズム調査では、南米大陸から1000キロも離れたこの島々の野生動物が、人間をまったく恐れないことに驚きました。捕食者のいない平和な環境で独自の進化を遂げてきた彼ー)に口の増加に伴って持ち込まれる外来種にらでしたが、観光産業の発展と定住人より、この楽園のバランスが崩れつつありました。また、パレスチナの廃棄物問題解決プロジェクトにも参画。砂・石・ています。岩だらけで、水と緑にあふれた日本とはまるで異なる環境と文化、人々に出会い、多様性を肌で感じる経験でした。「社会科の環境問題」をどう解くのか、難しいですが、それがサステイナブルな社会の設計(デザイン)につながっていく、と考えました。2002年、三菱総合研究所を退西原“'行—弘[「まるっとサステイナブル」がライフワークですー先のある未来を創るー一社に一人CSu0がいる時代へ東大卒業後三菱総研での12年の修業ガラパゴス諸島や_中東で触れた環境問題※「まるっとサステイナブル」人呼んで「まるサ」の男です。*CSuO (Chief Sustainability Officerの略)1990年からサステイナブルがライフワーク。社名は、「誰もわからないよ!」と周囲から大反対されながらも、信念で「サステイナブル·デザイン」と命名。最近ようやく認められるようになってきました。●●—•一r -r-- F—-Fー・ Nishihara Hiroshi Story :最高サステナビリティ責任者.
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