[社長コラム] 新1万円札の 渋沢栄一 は井の頭公園誕生にも深く関わっていた

2019.04.12

2024年度に千円、5千円、1万円の各紙幣が一新されますが、1万円紙幣の図柄に 渋沢栄一 が選ばれました。

この渋沢栄一は近代日本経済の父として有名ですが、社会貢献活動にも熱心、現在の井の頭文化園本園の敷地にあった「東京市養育院感化部井之頭学校」(1905年~1939年)の校長も務めていました。

実はこのことが井の頭恩賜公園誕生のきっかけとなっています。
そのきっかけとは…。以下、『井の頭公園100年写真集』(ぶんしん出版)からの抜粋です。


「渋沢栄一は、実業界引退後に教育や社会公共事業にも広く尽力しましたが、その一つ、現在の井の頭自然文化園の敷地にあった、非行少年更生施設の井之頭学校の校長を務めていました。その井之頭学校が殺風景なため庭造りを依頼されたのが、東京市の職員で当時30歳、後に「公園の井下」と呼ばれた井下清です。井下は、渋沢に案内された井の頭の景観を見て、この井の頭の池と森を東京市民の公園にすることと、そうなれば学校の卒業生もここで働けることを進言しました。渋沢は提案に賛同し、娘婿である東京市長の阪谷芳郎とともに宮内省に御料地の下賜を働きかけました。そして大正2年10月21日東京市の本会議に「郊外公園設置ニ関スル件」を提出し議決されました。」


このように、渋沢栄一の働きかけがなければ、井の頭公園は誕生しなかったか、少なくても誕生が遅れたといえるでしょう。

新1万円札の渋沢栄一は、井の頭公園の誕生にも深く関わった人物でもあったのです。

(信)

井の頭公園と渋沢栄一